おんごろべーを集めてた

5秒間のできごとをいかに述べるか、そんな内省日記にするつもりです。

(2022年2月24日)炬燵の余韻で発酵させたパンを焼いて食う

今日は決戦の日だ。

課題の提出日になっているのだが、課題を終えるのに必要な情報が朝の七時に届くので締切が要するに1日しかないという。

それでいて寝てくださいと言われ、初学者にはハードモードだなと思う。


午前中はズームでグループワークで、対面と比較すると本当にズームは微妙な雰囲気になりがちで話しにくい。

なぜなのだろう。コミュニケーションをとるというより、情報の伝達に終わってしまう気がする。コミュニケーションには向いていないのではないかと思う。

ズームだと同時には話せないし、ちょっとした冗談を挟みにくい。


雑音が一切排除されるのだと思う。

いかに私たちが普段のコミュニケーションで身体性から情報をやりとりしているのかを考えさせられる。

患者訪問シュミレーションで、先生がトイレットペーパーが食事するところにあるのはどうなんだろうね、飲みかけのコップに皆さんはまた注ぎますか?と言われた。
日常生活の中で全然やるので、常識のずれを感じる。自分の生活レベルが低すぎるのか・・・?

本当に看護とは、看護をする側の人の生活観に影響されるなあと思う。
あと、簡単そうなことなのに全然実践できない自分に驚く。


昼は出かける前に炬燵の余韻で発酵させたパンを焼いて食う。

オーブンに発酵機能があるが、炬燵に残った温かさという再生エネルギー?を使って済ましたい思いがある。


全粒粉より普通の白い小麦粉の方がうまいなと思う。全粒粉は100%で焼くとエグ味がある。
いや、100%でやるのが間違っているだけだと思う。
健康とうまさをはかりにかける。


夕方、課題に追われているが、塾へ。せめて明日にすればよかったと思うがもう遅い。こんなに実習が大変だとは誰も思うまい。

担当の子にテストの出来を聞くと世界史で過去最低点をとれそうと言っていて更新し続けてるなと思う。


塾の新しい社員さんは講師達が来ると必ずこんにちは〜と言う。
今の教室長やスタッフは生徒に対してはこんにちは〜で、講師にたいしてはお疲れ様ですなので、毎回違和感を覚える。
でもおそらくその社員さんにとってはこんにちは〜がスタンダードになっており、変えようと思っても難しいのではないかなと勝手に推測する。

普段言い慣れてる言葉を変えるのは難しい。というか、スタッフたちも人物を認識してこんにちは、かお疲れ様です、かを判断するの大変じゃないか?

認知資源の節約のためにこんにちはに統一してしまえばいいのではないかと働き方改革を提案する。


久しぶりにむき栗を食べたらうまいうまい。
甘栗と書いてあるのは要注意で、剥いてくれてないことがあるので必ずむき栗を買おう、と改めて心に刻む。

課題は必死に健闘し、眠気の波に襲われる。22時からは既に眠かった。2時半には寝た気がする。